本殿は向拝を付した三間社流れ造りで、拝殿を介して楼門までを一直線上に連結させる構造。これは全国的にも山口地方だけに見られる独特な様式で、近郷にも見られるが当宮の建築年代が最も古く、豪壮な造りであるのは創建当時の大内氏の強大な権勢と財力を示している。この様式は、概して広くない限られた土地を有効に活用する必然から生じた合理的な工夫である。
また、本殿及び拝殿上部の蟇股は、天体や宝珠など類例の多くない図案で構成され、形も室町期特有のものから厚みのある桃山期へ移行する過程が表れており、美術史の見地からも貴重な史料である。
楼門は向拝付で、左右に翼廊を配し、床板を敷いた「楼拝殿造り」と呼ばれる特異な形式で、必要に応じて拝殿としての機能を備える。左右翼廊の床が中央より低く高低差が設けられているのは、当主に従い伺候する武士の身分に応じた座位の確保や、読経する僧座のためのものである。
上層部は三つに分け、中央を扉、左右を連子窓とし、大きな大内菱が彫り込まれている。また、輪宝や木製の柱の礎盤は禅宗様をあらわしている。 |