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大内義隆が、天文3年(1534)筑前葦屋(現在の福岡県遠賀郡芦屋町)の金工、大江宣秀に製作を依頼し寄進したもの。
鰐口とは、社寺の軒先に吊るして布縄で打ち鳴らす凡音具のひとつで、神仏に来意を知らせるものである。神仏分離以後は多くの神社のものは外されて鈴に変わった。
当時葦屋は釜を主力とした鋳物の一大産地であり、のちに武士の間で茶の湯が普及するとともにその名声は全国に及んだ。その職人が釜作りで鍛えた技術により納めたもので、鰐口の重文指定は当宮のもの一点である。
特筆すべきはその大きさである。面径85.8cm、総厚30cmという巨大なもので、鰐口としては国内最大級である。その大きさゆえ一度では鋳造できず、鋳継いであることが判る。
表面には製作年、製作者名や施主である義隆の名が刻銘されているほか、宝珠や雲竜の彫刻も見られる。
その堂々たる威容は、社殿の最前を飾るに相応しく、大内氏の富と権力が誇示されるとともに、葦屋職人の卓越した鋳造技術を窺い知ることができよう。
現在は山口市歴史民俗資料館に委託展示(常設)されており、間近で見ることができる。
※他館への貸し出しもありますので、展示の有無は資料館へご確認ください。 |
黒漆塗りの一枚板に白字で45行にわたって今八幡宮祭礼時の神官等の名前が列記されている。 法量は縦32.6cm、横187.2cm、厚さ1.5cm。年代は天文14年(1545)8月26日。
本名籍は、今八幡宮の九月の例祭にあたって、大内義隆が祭礼の執行に着到すべき神主等を指定し、その中から祭礼期間中の当直者の順番を定め、この名籍を遵守して祭礼を執行するよう命じたものである。
告知のため板書して掲示したと考えられるが、中世における祭礼時の神官の交名(きょうみょう)を板書した例はこれ以外にはなく、珍しいものである。
今八幡宮は大内氏を旦那とする名社で、中世において高嶺大神宮(こうのみねだいじんぐう)・祇園社・多賀社とともに大内氏の厚い庇護を受けてきた。本名籍は当社の祭礼の執行に大内氏が直接関わっていたこと、あるいは祭礼の実施に際して多賀社・高嶺大神宮・祇園社の神官等も参加したことを示しており、中世における祭礼運営の在り方をみるうえで、また大内氏の信仰を考えるうえでも貴重である。
山口市歴史民俗資料館解説文を抜粋・同館に寄託保存 |
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