当今八幡宮の宮司家は、室町時代の創建以来、代々変わらず同じ家が累代務めております。そして、宮司家は「今八幡宮のみ」の宮司家であり、大正期までここ一筋でした。しかし、時代の変遷とともに近隣の他神社において「途絶える宮司家」が出てきました。後継者が居ないという状況です。こういう事態では、主に
@全く新しい宮司さんを迎える。(新宮司家の設立) A宮司家はそのままに、養子を迎える。 B近隣の他神社の宮司さんに兼務として就任してもらう。
この3つが多いと思われます。 当宮は、冒頭の通り本来今八幡宮のみでしたが、途絶えた宮司家の出現により、Bの兼務神社が増えました。その時代時代のお宮の総代・世話役さんからの要請や、支部(一定区域内の神社の集まり)での話し合いによって要請されたことでしょう。 「二兎追うものは一兎も得ず」の言葉通り、兼務を行うことによって、本来の今八幡宮の社務に多少なりとも支障をきたすことは明白であり、できることなら引き受けたくないのが本音であったことでしょう。しかし、それによって「宮司不在」となり、祭事が行われなくなることは、その神社を崇敬する人々や地域の氏子さんにとり非常事態となります。また、「宮司であれば誰でも良い」というわけではなく、ある程度の人物識見が要求されます。こうした様々な事情により、大正期の当時、山口における国学者として、また戦後では最初の神社庁副庁長として優れた人望のあった「時の宮司」が八坂神社を始めとして多くの兼務神社を引き受けました。勿論「やむを得ず」であり、適任者が見つかるまでの一時的な約束でしたが、その後およそ百年経過した現在まで至っております。このことにより、神社間の移動が生じるため予約された時刻通りスムーズに祭事が進行しないという不都合が時折生じます。例えば日曜日の大安などでは、
@今八幡宮で初宮詣→移動→A吉敷畑で地鎮祭→移動→B八坂神社で厄除け→移動→C今八幡宮で車のお祓い→移動→D今八幡宮氏子宅で年祭→移動→E今八幡宮で安産祈願→移動→F木戸神社で会合
このほか、護國神社や築山神社の祭事を始め、ホテルでの結婚式の要請や地域活動があった場合などは、大慌ての一日となります。 例え夜中に掛かっても決してお断りいたしませんが、兼務神社を多く抱える宮司家では、「移動」という困難を伴うことによる若干の到着の遅れ(5分程度)がありました節は、どうかご理解くださいますようお願い致します。
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