当宮の氏子区域においてマンションの建設が相次いでより久しくなりますが、それらの殆どは白石地区でしたが、最近は大殿地区においても段々と増えてきました。核家族世帯の増加や、コンビニ同様に、他者と交わることなく(会話無く)、面倒な近所付き合いを避け自分達の世界を築きたいというような独立意識が強い表れなのでしょうか、それ自体は全く問題なく、時代を反映している自由な発想と思います。 問題は、建設にあたり「地鎮祭」や「竣工祭」を行わない、または氏神さま(その土地を守護される鎮守さま)を無視した「神社であればどこでも良い」といういい加減な判断のため他神社による祭事が横行していることです。 土地の安全を祈願することに際し、その土地の神様に祈願や感謝や奉告をせず、他地域の神社が一時的にやって来て中途半端な祭事を行うことに違和感を感じます。依頼者(施主や施工会社)が当該神社を知らないことは仕方ありませんが、誤って依頼を受けた神社は、まずもって本来の氏神神社を知らせてあげたうえで相手が了承すれば引き受けるべきが正常な姿です。何でも引き受け、どこへでも出ていく安直なパフォーマンスは厳粛な神事とはほど遠く、厳然たる鎮守さまを軽視した恥知らずの愚行といえましょう。 氏神さまには少なからずその「責務」があります。その土地の人々(氏子さん)がどのように暮らしていらっしゃるか、お元気であるのか、生活は如何なものかなど、これらは、『万葉集』所載で有名な舒明天皇御製「大和には・・・」にみられる「こころ」と同じに通ずるものがあります。 建設に関する祭事が正常に行われなかった際でも、入居に際してのお清めのお祓いは入居者個人の意思により行うことができます。その節は正常に「氏神さま」にご依頼されてください。
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