12月も中旬という時期では異常ともいえる暖かな一日。日中は土曜日ということもあり、多くの予約参拝者がお見えになりました。 夕刻より龍王町内会に鎮座する龍王神社の例祭に出向しました。龍王とは、かつて使われていた旧町名であり、現在は「山口市旭通り」のうちの一部ですが、この旧町名は言うまでもなく龍王神社から名付けられたものです。 さて、このお宮の維持ですが、龍王町内会ではなく、町内に住むうち「龍王講」という講の方たちで護っていらっしゃいます。 現在に残る由来記によると、江戸時代の元文年間、日照りが続き田畑はおろか、飲料水にも事欠くこととなった。(恐らく多くの犠牲者・病人が出たことであろう。) 手の施しようを無くした龍王の人々は、最後に「玉道」という和尚さんに祈祷を願い出ました。和尚さんは寝食もそこそこに昼夜ひたすら祈りを続ける事17日目、ついに願いが成就しました。それは、龍が出現し大雨が降り、人々はこの龍を祀るお宮を建て、以後、このときの町人が祭祀を続けることとなりました。 史実は恐らく、ひたすら祈祷し続けた玉道和尚は17日目に力尽きてお倒れになった(亡くなった)。そのとき雨が降り、人々は和尚を悼み、「龍」の化身として感謝と供養の祠を建て、毎年のお祭りを欠かさずに続けて来られた。ということではないでしょうか。当時祈りを行った家は、やがて講を設け、現在の龍王講として残っています。当時相当数あった講は現在17件と減少していますが、江戸期から続き、祭祀を続ける名誉ある「龍王講」です。
※「龍王町内会」自体は白石地区でも360を超える最も世帯が多い町内ですが、江戸期に祠を創建し、今なお続いている家が龍王講です。
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