積雪がありましたが、大して問題ない程度で済んで助かりました。阿東地区では豪雪のようですが、山口は午後には無くなりました。
午後より、ある用務にてある催しに参加いたしました。 女性お二人とお話ししていましたところ、そのうちのお一人より、「今八幡宮のブログ(新着情報)は、とても参考になり、面白いですよ。」という有難く、やりがいのあるコメントを戴きました。もう一方の方より、「お守りの紐の結び方にも、意味があるのですよね?」というご質問がありました。知ってはいたのですが、曖昧な返答はできないため、「改めて調べて、今日の新着情報で奉告します。」とお答えしましたので、お守りについて記します。
お守りは、古く奈良時代の遺跡からも発掘されている古いもので、当時は木製の木札でした。今と同じく紐を通すための穴が開いており、恐らく腰などに付けていたと思われます。この奈良時代のお守り(木製)には墨書で「蘇民将来」(災いや疫病を防ぐといわれる人物)と記されており、現在と同じく疫病(今でいうインフルエンザやノロウイルス)などの伝染病を予防する願いの込められたものでした。紐を付けて腰などに携えるということは、「肌身離さず」という、同じく今に通じる「肌守り」と同様の意味合いです。(肌守りとは、こういう意味です。決して、「お肌に良い」わけではありません。)
奈良時代には木製であったお守りですが、平安時代になると、これを袋に入れた形式になります。現在の形と同じですが、もっと豪華で手彫りの彫刻が施されたりしていました。主に女性が、旅の安全や安産を願い、首から下げていました。 江戸時代になると、お宮で頂いた木札を巾着の型の錦の袋に入れて持ち歩きました。袋の形状は長寿の象徴である亀をかたどった「亀甲」型です。この「守り巾着」は、親が子に持たせていました。 現在の型は、明治期より、「薄く持ちやすい」よう改良されたものとなりました。
ここで本題のお守り袋の紐の結び方の意味です。 表の結び目は「口」という字になっています。一方で裏側は「十」となっています。この「口」と「十」を合わせると、「叶う」という字になります。そう、「願いが叶う」というふうに結ばれているのです。
当宮のお守りは、ほぼ全てオリジナルのデザインとなっておりますが、デザインに関しては素人。どなたかデザインしてくださる有志がありましたらお願い致します!
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