先日お土産で戴いた一味唐辛子を毎日のようにいただいております。お味噌汁に一振り、湯豆腐に一振り。かなりキメの細かいもので、喉がじわじわと痺れる辛さがまた爽快です。
ある神社関係団体の機関紙があります。この最新号に、ある方の文章が掲載されており見ておりました。この方は表記を「歴史的仮名遣い」(旧かな遣い)を用いていらっしゃいました。これは立派な心がけです。現代仮名遣いは欠点が多いのですが、国の方針で戦後こうなってしまったので仕方ありません。しかし、せっかく旧かな遣いで書かれていらっしゃるのに、この仮名遣いが目茶苦茶で適当なものであることが残念でした。 赤ペンで修正したところ、何と数十か所、真っ赤になりました。大半が間違いであり、かなりいい加減な仮名遣いです。(出鱈目としか言いようがありません)。これでは神社関係者以外の人が目にしたとき、または他県の神社関係者が見たときに、何とも恥ずかしいことです。「この県のこの立場の人は、この程度のものですか。」そんな声が聞こえてきます。 そんなことはありません。印刷所のミスであることを願っています。(それではなぜ校正しなかったのかといわれてしまいますが。)
現在の私たちの生活にも、歴史的仮名遣いは生きています。たとえば、「こんにちは」の「は」。「わ」ではありません。手紙などで、「○○さんへ」の「へ」。「え」ではありません。活用自体が変化するものもあります。 別の誤用で、祝詞でこの表記をそのまま発音する人も居ます。 「かしこみ、かしこみも、まおす」。
「白す(申す)」は「もうす」であり「まおす」ではありません。 「祓(はらえ)」であり「はらへ」とは言いません。 「言ふ」は「いう」と読み、「いふ」とは発音しません。 「高校」は「こうこう」であり「かうかう」と発音しませんね。 「今日(けふ)」「扇(あふぎ)」「蝶々(てふてふ)」雅な表記ですが、発音は異なります。「まおす」と言う人は、「てふてふ」や「かうかう」と統一して言わねばなりませんが、そうは言わないでしょう。
できないことを無理にしようとした結果、とんだ恥をかいてしまった良い例です。わからないことは、わかる人に素直に聞きましょう。
|