土曜日ということで多くの参拝者のほか、いつものように非常に多くの方がご朱印を求めにお見えになりました。この凄まじいご朱印は今日一日で30組はお越しになったと思いますが、兼務神社のものを含めると100件以上は書いています。筆の消耗がかつては考えられないスピードですが、熊野筆を寄付してくださる組合さんがあり助かっています。
神社という地域に根差した施設ということもあり、よく「町づくり」や「地域おこし」のような会合・団体に呼ばれることがあります。こうした会合において「山口の良いところ・悪いところ」を挙げてもらったたとき、決まって「良いところは緑が多く、空気がきれい」であり、悪いところは「遊ぶ施設が少なく田舎である」というコメントが出ます。田舎で環境破壊の施設が無いから緑が多く、空気がきれいなのですよね。忘れないでください。
「○○が無い」「○○が欲しい(必要)」ではなく、今あるものを知らないだけです。「隣の芝生」を見て羨ましがるのではなく、自分の持っている、他にはない素晴らしいものがあります。これを「いかに活用するか」ということを重点におき、観光などで活用していけばよいのですが、このあたりが上手く機能していません。全ては「知らない」から生じているボタンの掛け違いとともに、行政の消極性にあります。神社といえばすぐに「宗教だから」となります。伊勢市では神宮をこのように言っているでしょうか?出雲では大社をこのように言いますか? 防府ではどうでしょうか。京都、岸和田など枚挙に暇がありませんが、山口だけは未だにこのようなことが言われ続けており、このことは他県の人が信じられないように思っています。 山口にもほかに負けない立派な神社や祭りがいくつもあります。行政が積極的に関与していかない以上、いつまでたっても大きく前進することはないでしょう。
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