夏の高校野球が開幕し、連日熱戦が繰り広げられています。 今年も彼らから多くのことを学ぶことができると思います。
昨日は「山口七夕ちょうちん祭り」が開催されました。この祭りの起源である大内氏を慰霊顕彰するお祭りが、兼務神社であり大内義隆を祭神とする築山神社で行われました。 この築山神社のご祭神は、主祭神は大内義隆卿で、相殿(主祭神の対等な祭神)に徳川家康公となっています。ほかに配神(主祭神のもとにある祭神)には義隆卿の家臣であった市川少輔七郎、大内氏歴代当主などとなっています。なぜ徳川家康が、しかも倒幕派の長州にお祀りされているのでしょうか。 江戸時代、全国の諸藩は幕府に忠誠を誓うため(反抗しませんという態度)に、さまざまなことを行っていました。代表的な例は参勤交代ですが、ほかにも毎年、土地の名物などの贈り物や建造物を設ける際の人員派遣、警衛(海岸線など)さまざまですが、初代の家康をお祀りする東照宮を設け、祭りを執行することも大きな恭順を表す手段でした。 山口では、大内氷上にこの家康を神として祀る東照宮を設けました。幕府に高い忠誠を表すため、通常の神社以上に立派な建物とするため、入母屋造り(軒が四方にある豪華な造り)の総檜造りというだけでもその使用した莫大な経費や徳川家を大切にするという態度が分かります。 時代は移り、幕末。倒幕派の藩では、「徳川憎し」「幕府をつぶせ!」ということで、各地の東照宮は破壊されましたが、その最右翼であった山口ではそのようなことをしませんでした。 その理由はいくつか考えられますが、最大の要因は長い年月に亘る信仰があったからです。 いまでも、日本人の多くは神社にお参りするとき、そこのお宮のご祭神を目的にお参りするのではなく、「神社」をお参りしているのであって、そこに誰が祀られているということは意識しません。誰が祀られているかは分からないけど、「神社」だからお参りするのです。もっと言うと、石や岩でもしめ縄が張られていると、そこにお賽銭を置いていきます。「何だか分からないけど、有難いもの」。これこそが、日本人の信仰の中心となるものと思われます。
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